先日BSで録画しておいた「わが心の聖地」という番組。

奈美悦子さんが奈良生駒の霊山寺というお寺を訪ねていました。

奈美悦子さんといえば、西野バレー団で金井克子さんや由美かおるさんとグループ組んでいましたが、こんなことを知っていると年がばれますね。

奈美悦子さんは難病との闘病でも知られています。

掌蹠膿疱症性骨関節炎という病気。

免疫疾患と言われていますが、奈美悦子さんが発症した時は原因不明で治療法もなかったらしい。

手に膿疱ができ、鎖骨や肩甲骨などの骨が変形し非常な痛みを伴う病気です。

当院でも何人かこの病気の方にヒーリングをしたことがありますが、一時的に膿疱が消えたり、痛みが治まったりはしますが、完治には至っていません。

そんな難病と闘病中の奈美悦子さんが奈良生駒の霊山寺を訪れたのは、霊山寺が病気平癒の霊験のあるお寺とされているからです。

 

霊山寺の副住職が奈美悦子さんにした説法は素晴らしかった。

「ありがとう」という言葉はもともとお釈迦様の説法からきているということです。

 

お釈迦様が弟子たちに尋ねます。

 

海の中に住んでいる目の見えない亀がいて、10年に一度だけ海面にあがってきます。

その亀があがってきたとき、流木が漂っていて、その流木の真ん中に穴が開いています。

亀が流木の真ん中の穴に入ってしまう事があると思うか?というもの。

 

弟子たちは、そんなことはあり得ないと皆いいます。

するとお釈迦様は、こう言ったそうな。

確かに亀が流木の真ん中の穴に入る確率はとても低いが、今生きている人間がこの世に生まれてくる確率はもっと低い。

 

それほど低い確率で生まれてきた人生は貴いもので、大事に一日一日を生きなければいけないということだと思います。

この話は「盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」と言われています。

ありがとうとは「有難う」と書きます。

「有難い」とは「あり得ない」事が起こったということで、人間の誕生はそれほど有難いこと。

人は、生まれ、今も生きていることに「有難う」という気持ちを持つ事が大事だということのお釈迦様の教えです。

 

奈美悦子さんもおっしゃってました。

病気になったときは泣いたけど、でも病気になったことで気づかなかったことに気付いたこともあるし、病気に教えられたこともあると。

今は病気と付き合いながら精一杯生きることを心がけているし、そんな自分の姿が同じ病気の人の心を癒すことが出来れば嬉しいと思いますと。

 

小生も病気は抱えていますが、確かに病気になって初めて病気の人の気持ちが理解できるかもしれません。

かつて、九州の気功師が「病気の治療家なんかは治療家失格だ。自分を治せない者が人を治せるはずがない」と、小生の友人の事を誹謗するブログを書いていました。

その気功師は、そういうことを言っているうちは、良い治療はできないかもしれませんね。

 

病気も神様が与えてくれた有難い試練とポジティブに考えたいですね。

関連する記事を読む: